2008年08月18日
喫煙について
友人が会社の人にタバコを吸われて体調に変調をきたし、それでもその人たちとの調和を重んじるあまりに明確に「NO!」と言えずに困っている。
タバコを吸う人が「吸ってもいいですか?」と聞くことがある。
了解を取ることで一応のマナーの責務を果たしたということなのだろうか?
こういったときに、公共の場で知らない人から聞かれたのであれば「すみません。あまりタバコは得意ではないのでご遠慮いただいてもいいですか?」ということができるし、席を移動して違う場所に移動するという手もある。
しかし、仕事を一緒にしている人だったり人間関係を重視しているような相手にはなかなか「吸わないでもらえます?」とはいえないものだ。しかも、ミーティングの際に「吸ってもいいですか?」等と聞いてくる場合はなおさらだ。吸わない人は総じてタバコの煙は苦手だということを理解して欲しい。そんなタバコ嫌いの相手にお伺いを立てる事自体のセンスを疑う。
そんな場で「タバコを吸うと落ち着く。」「タバコを吸うとアイデアが出る。」こんな言い訳を言うタイプは自己中心の考え方に固まってしまって周りが見えていないといってもいいだろう。「僕にタバコを吸わせないといいアイデアが出ませんよ。」という脅迫だろうか?
「吸っていただいてもいいですよ。」という回答を出した人の中で本質的に吸ってもらってうれしい人は0%といっても過言ではない。本当は吸って欲しくないのだ。タバコの煙は臭いし、煙で体調も悪くなる。他人の吸っているタバコの煙で、微粒子が肺に入る。好んでも無いのに埃を吸っているようなものなのだ。誰が吸ってほしいわけがあろうか!
相手の立場に立って考える事ができない人に優秀なビジネスマンもすばらしい人格も宿らない。
以前、弊社にもいたのだが、席を外して吸うというのももちろんおかしい。大事なビジネスに振り向けなければならない時間をタバコを吸う人だけが、5分でも10分でも休んでいいわけが無いのだ。不公平感がどうしても付きまとう。
「大丈夫です。吸ってる間も考えていますから。」なんて、周りの人のモラルがダウンし続ける言葉だと気付かないのか?
タバコを吸うのは趣向の問題。それはそうかもしれないが、しかし、人がいるところで、となれば話は別ということがわからないのか?
特に弊社は環境系の会社。社会意義を全うすることや、相手の立場に立って機敏に欲するところを嗅ぎ取る仕事である。環境の会社だけではない。食のことに携わる会社や健康のための何かを提供する会社などであればなおのことだ。
そういえば以前、そういう言い訳をとうとうといい放つ人物を経営陣の中に迎え入れていただけで、つくづく自分の目が節穴だったと反省している。
もちろん、別の会社に僕が言うことではないが、周りの人がもっと気付いてあげなければいけないと思う。
タバコを吸う人が「吸ってもいいですか?」と聞くことがある。
了解を取ることで一応のマナーの責務を果たしたということなのだろうか?
こういったときに、公共の場で知らない人から聞かれたのであれば「すみません。あまりタバコは得意ではないのでご遠慮いただいてもいいですか?」ということができるし、席を移動して違う場所に移動するという手もある。
しかし、仕事を一緒にしている人だったり人間関係を重視しているような相手にはなかなか「吸わないでもらえます?」とはいえないものだ。しかも、ミーティングの際に「吸ってもいいですか?」等と聞いてくる場合はなおさらだ。吸わない人は総じてタバコの煙は苦手だということを理解して欲しい。そんなタバコ嫌いの相手にお伺いを立てる事自体のセンスを疑う。
そんな場で「タバコを吸うと落ち着く。」「タバコを吸うとアイデアが出る。」こんな言い訳を言うタイプは自己中心の考え方に固まってしまって周りが見えていないといってもいいだろう。「僕にタバコを吸わせないといいアイデアが出ませんよ。」という脅迫だろうか?
「吸っていただいてもいいですよ。」という回答を出した人の中で本質的に吸ってもらってうれしい人は0%といっても過言ではない。本当は吸って欲しくないのだ。タバコの煙は臭いし、煙で体調も悪くなる。他人の吸っているタバコの煙で、微粒子が肺に入る。好んでも無いのに埃を吸っているようなものなのだ。誰が吸ってほしいわけがあろうか!
相手の立場に立って考える事ができない人に優秀なビジネスマンもすばらしい人格も宿らない。
以前、弊社にもいたのだが、席を外して吸うというのももちろんおかしい。大事なビジネスに振り向けなければならない時間をタバコを吸う人だけが、5分でも10分でも休んでいいわけが無いのだ。不公平感がどうしても付きまとう。
「大丈夫です。吸ってる間も考えていますから。」なんて、周りの人のモラルがダウンし続ける言葉だと気付かないのか?
タバコを吸うのは趣向の問題。それはそうかもしれないが、しかし、人がいるところで、となれば話は別ということがわからないのか?
特に弊社は環境系の会社。社会意義を全うすることや、相手の立場に立って機敏に欲するところを嗅ぎ取る仕事である。環境の会社だけではない。食のことに携わる会社や健康のための何かを提供する会社などであればなおのことだ。
そういえば以前、そういう言い訳をとうとうといい放つ人物を経営陣の中に迎え入れていただけで、つくづく自分の目が節穴だったと反省している。
もちろん、別の会社に僕が言うことではないが、周りの人がもっと気付いてあげなければいけないと思う。
2008年08月14日
ブランド戦略の続き
アサヒ飲料のウィルキンソンジンジャエールのブランディングはかなりうまかったのではないだろうか。もちろんブランディングのためにやったのではなく、普通に卸の販売ルートに乗せただけなのだろうが…。
僕が20歳の頃、イタリア料理屋でウィルキンソンのジンジャエールを出していて、知人の間で「本物のジンジャエールを飲んだことがある?」といって話題になったことがあった。
ウィルキンソンのホームページからそのまま持ってくるとその商品コンセプトがそのまま出ている。
もちろん、この通りプロスペックなので、普通の小売店には置いていない。
これが返って付加価値を生み、アルコールを選択できない人の多くが、
イタリア料理屋などでウィルキンソン「本物のジンジャエール」をオーダーする。
※今はどうなのか、知らないが…。
アサヒ飲料は一時期、ペットボトルに入ったウィルキンソンをコンビニなどでも仕掛けたが、今ではとんと見かけない。やはり「ブランド」は期待されたところで期待された内容で提供されるから価値があるのであって、期待されていない側面に登場するだけで価値はなくなるものなのだなあと思う。
たとえば、ナイキのフォーマルウエアーなど欲しい人はいないはずだ。(レア物として欲しいかどうかは別だけどね。)
僕が20歳の頃、イタリア料理屋でウィルキンソンのジンジャエールを出していて、知人の間で「本物のジンジャエールを飲んだことがある?」といって話題になったことがあった。
ウィルキンソンのホームページからそのまま持ってくるとその商品コンセプトがそのまま出ている。
「優良なジンジャーを使用した辛みの強いハードな味わいが特長で、特にプロのバーテンダーを中心に業務用市場でも評価を頂いている、いわば本物志向のジンジャエールです。」
もちろん、この通りプロスペックなので、普通の小売店には置いていない。
これが返って付加価値を生み、アルコールを選択できない人の多くが、
イタリア料理屋などでウィルキンソン「本物のジンジャエール」をオーダーする。
※今はどうなのか、知らないが…。
アサヒ飲料は一時期、ペットボトルに入ったウィルキンソンをコンビニなどでも仕掛けたが、今ではとんと見かけない。やはり「ブランド」は期待されたところで期待された内容で提供されるから価値があるのであって、期待されていない側面に登場するだけで価値はなくなるものなのだなあと思う。
たとえば、ナイキのフォーマルウエアーなど欲しい人はいないはずだ。(レア物として欲しいかどうかは別だけどね。)
2008年08月12日
ブランド戦略
ブランド戦略は大切だと痛感する。
石川県が開発した新品種の大粒ブドウ「ルビーロマン」の初競りがあり、
金沢市の市中央卸売市場で行われ、最高で1房10万円、
平均で約2万7000円の値がついたとのこと。
この「ルビーロマン」というブドウは「藤稔」という品種から選定された皮の色素の薄く、粒の大きい優良種を厳選して新品種に登録されたようだ。
このほかにもブドウでは「ナガノパープル」という指定農家だけが作れるというブランド戦略を行っているものもある。
「ルビーロマン」の原種の「藤稔」も一粒20グラムから30グラムもあり、巨峰の2倍から2.5倍の大きさだ。しかも消費者の喜ぶ圧倒的な糖度も持っている。
しかし、このすばらしい「藤稔」と比べてもルビーロマンは値段はなんと10倍以上もする。生物学的に言えば色と栽培場所の違いだけなのに。
これは、希少性、話題性、ストーリーなどの要素をマネジメントできれば決して困難なブランディングではないと感じる。むしろ仕掛けの要素の問題だなぁと痛感する。
南魚沼のコシヒカリ、関さば、関アジなどでも行われている。
ある意味真実、ある意味虚像。でもその戦略で演出された商品が、
人の求めているものにぴったりとあってさえいればブランドとしての価値をもつ。
ブランド戦略は単品の差別化を行ううえで必須の内容だと思う。その総合的な力が商店だったり、企業ブランドの総力なのに、勘違いして器自体をブランド化する戦略を取ると、現在の百貨店のようになってしまったり、ただ意味も無い商品を並べてしまっている戦略になってしまって、「おかしいな?ブランド戦略はうまく効いていないな。」というような結果になってしまう。
実は、セブンアンドアイの単品管理などは「個別ブランドの総和が企業ブランドになる。」ということを鈴木敏文会長が脈々と言い続けているだけのことなのではないか。もちろん簡単なことではない。
むしろ単品管理という概念はすごいなと思う。単品管理という言葉そのものは地道な単純な作業的なイメージを持ってしまうが、実はその時代やその店という器にお客様が期待する最適なブランドを、常に用意し続けるいわゆるブランド戦略なのだ。
小売の店舗のデザインなどにこだわりを持つ企業は多いが、店舗デザインをブランドマネジメントとして考えると、優れた単品群の集積された器をどうデザインするか。
ユーザビリティーと視認性を高くするということに集約され、それぞれの単品がどんな個性を持っているのかを良く理解できるようにすることこそ店舗デザインの役目なのではないか。消極的に表現すると、単品がそれぞれの個性を持って、かつ同じ方向を向いているのに店舗が汚かったり、見にくかったりしないようにするだけの役目。つまり「プラスのイメージを損失させないために存在する。」という意味合いしか持たないのではないか。
サービスの提供そのものを販売している業種、たとえばエステやマッサージなどの業種や外食産業などのブランドマネジメントはちょっと違うとも考える。たとえば外食はお客様の消費の現場を提供するので、内装やサービスと料理の一体感のあるいわゆる雰囲気のよさなどが極めて重要になってくる。
一方、先ほどもセブンアンドワイの件で出たように、本屋や洋服や雑貨、食品などの物販店はお客様に消費の場を提供するわけではなく、買う場所を提供するということなので、家庭内やオフィス内の消費のために必要なインフォメーションの提供だったり、品質を保証する状況だったり、消費活動に合わせてお客様がいいものを間違わずに選ぶ場所を提供することに尽きるのではないか。クオリティーを疑わせるような店舗では困るし、内容がわからない状況も困る。自分たちの目でインフォメーションをつかみ確認し、安心して買いたいからだ。安心して買える仕組みの提供こそ必要なのではないか。
石川県が開発した新品種の大粒ブドウ「ルビーロマン」の初競りがあり、
金沢市の市中央卸売市場で行われ、最高で1房10万円、
平均で約2万7000円の値がついたとのこと。
この「ルビーロマン」というブドウは「藤稔」という品種から選定された皮の色素の薄く、粒の大きい優良種を厳選して新品種に登録されたようだ。
このほかにもブドウでは「ナガノパープル」という指定農家だけが作れるというブランド戦略を行っているものもある。
「ルビーロマン」の原種の「藤稔」も一粒20グラムから30グラムもあり、巨峰の2倍から2.5倍の大きさだ。しかも消費者の喜ぶ圧倒的な糖度も持っている。
しかし、このすばらしい「藤稔」と比べてもルビーロマンは値段はなんと10倍以上もする。生物学的に言えば色と栽培場所の違いだけなのに。
これは、希少性、話題性、ストーリーなどの要素をマネジメントできれば決して困難なブランディングではないと感じる。むしろ仕掛けの要素の問題だなぁと痛感する。
南魚沼のコシヒカリ、関さば、関アジなどでも行われている。
ある意味真実、ある意味虚像。でもその戦略で演出された商品が、
人の求めているものにぴったりとあってさえいればブランドとしての価値をもつ。
ブランド戦略は単品の差別化を行ううえで必須の内容だと思う。その総合的な力が商店だったり、企業ブランドの総力なのに、勘違いして器自体をブランド化する戦略を取ると、現在の百貨店のようになってしまったり、ただ意味も無い商品を並べてしまっている戦略になってしまって、「おかしいな?ブランド戦略はうまく効いていないな。」というような結果になってしまう。
実は、セブンアンドアイの単品管理などは「個別ブランドの総和が企業ブランドになる。」ということを鈴木敏文会長が脈々と言い続けているだけのことなのではないか。もちろん簡単なことではない。
むしろ単品管理という概念はすごいなと思う。単品管理という言葉そのものは地道な単純な作業的なイメージを持ってしまうが、実はその時代やその店という器にお客様が期待する最適なブランドを、常に用意し続けるいわゆるブランド戦略なのだ。
小売の店舗のデザインなどにこだわりを持つ企業は多いが、店舗デザインをブランドマネジメントとして考えると、優れた単品群の集積された器をどうデザインするか。
ユーザビリティーと視認性を高くするということに集約され、それぞれの単品がどんな個性を持っているのかを良く理解できるようにすることこそ店舗デザインの役目なのではないか。消極的に表現すると、単品がそれぞれの個性を持って、かつ同じ方向を向いているのに店舗が汚かったり、見にくかったりしないようにするだけの役目。つまり「プラスのイメージを損失させないために存在する。」という意味合いしか持たないのではないか。
サービスの提供そのものを販売している業種、たとえばエステやマッサージなどの業種や外食産業などのブランドマネジメントはちょっと違うとも考える。たとえば外食はお客様の消費の現場を提供するので、内装やサービスと料理の一体感のあるいわゆる雰囲気のよさなどが極めて重要になってくる。
一方、先ほどもセブンアンドワイの件で出たように、本屋や洋服や雑貨、食品などの物販店はお客様に消費の場を提供するわけではなく、買う場所を提供するということなので、家庭内やオフィス内の消費のために必要なインフォメーションの提供だったり、品質を保証する状況だったり、消費活動に合わせてお客様がいいものを間違わずに選ぶ場所を提供することに尽きるのではないか。クオリティーを疑わせるような店舗では困るし、内容がわからない状況も困る。自分たちの目でインフォメーションをつかみ確認し、安心して買いたいからだ。安心して買える仕組みの提供こそ必要なのではないか。
2008年08月06日
驕りは人を滅ぼす
人間は本当に意志の弱い生き物だと思う。
能力を発揮し、自信を持つそしてそのプロセスの先に驕りがでる。
何万もの成功者たちがこの「驕り」によって破滅した。
驕りは過信を生み過信は隙を生む。
驕りは独善的な判断材料のみを採用し裸の王様を生む。
状況判断をゆがませ、自分の過大評価と他者の過小評価を生む。
古くはヤマトタケルの伝説や平家物語にも明確に記述されているではないか。
戒めるために文章で伝承されているにも関わらず、学習していない。
現在でも数限りなく事例があるのに、学習していない。
自分だけはうまくやるし、驕り高ぶった状態でも違う解釈をし、
気付こうとしない。
どうして、驕りが出るのか?
役目を忘れすべて自分の実力だと思ってしまうこと。
特に企業内だと社長も役目の一つ。どんな会社の社長だって一人でできる事は一つも無い。社内の数々の人々が役目を認識しあって全力を発揮するからこそ企業は成長する。少なくともお客様お取引先様、そのほか協力者はいるはずだ。
環境問題は人類の驕りの典型的な経過だ。
イギリスの産業革命以来世界は生産性のとりこになり、
金銭的に成功するというパラダイムが確立すると、そのキーワード以外は
見えなくなり、成長神話に取り付かれ、
人類は独善的になり「生かされている感覚」から乖離し、
自分中心のジャッジをし、驕り高ぶり、過信し
誰かの作った価値判断で価値を感じ、踊らされている感覚も
踊っている感覚も持たない。
環境問題は確実にあるのに、「そうは言ってもまずは利益の確保」等と叫ぶ。
両輪の存在を忘れ、片方の車輪だけ回っていたのにも関わらず。
歴史上に成功した人々もすべて驕りによって滅びてきた。
人の集約系である人類は驕りによってやはり滅んでいくのだろうか?
驕は人を滅ぼす…驕りは人類を滅ぼす。
学習したい、先人たちの言い伝えたかったことを僕らの世代は噛み締めたい。
能力を発揮し、自信を持つそしてそのプロセスの先に驕りがでる。
何万もの成功者たちがこの「驕り」によって破滅した。
驕りは過信を生み過信は隙を生む。
驕りは独善的な判断材料のみを採用し裸の王様を生む。
状況判断をゆがませ、自分の過大評価と他者の過小評価を生む。
古くはヤマトタケルの伝説や平家物語にも明確に記述されているではないか。
戒めるために文章で伝承されているにも関わらず、学習していない。
現在でも数限りなく事例があるのに、学習していない。
自分だけはうまくやるし、驕り高ぶった状態でも違う解釈をし、
気付こうとしない。
どうして、驕りが出るのか?
役目を忘れすべて自分の実力だと思ってしまうこと。
特に企業内だと社長も役目の一つ。どんな会社の社長だって一人でできる事は一つも無い。社内の数々の人々が役目を認識しあって全力を発揮するからこそ企業は成長する。少なくともお客様お取引先様、そのほか協力者はいるはずだ。
環境問題は人類の驕りの典型的な経過だ。
イギリスの産業革命以来世界は生産性のとりこになり、
金銭的に成功するというパラダイムが確立すると、そのキーワード以外は
見えなくなり、成長神話に取り付かれ、
人類は独善的になり「生かされている感覚」から乖離し、
自分中心のジャッジをし、驕り高ぶり、過信し
誰かの作った価値判断で価値を感じ、踊らされている感覚も
踊っている感覚も持たない。
環境問題は確実にあるのに、「そうは言ってもまずは利益の確保」等と叫ぶ。
両輪の存在を忘れ、片方の車輪だけ回っていたのにも関わらず。
歴史上に成功した人々もすべて驕りによって滅びてきた。
人の集約系である人類は驕りによってやはり滅んでいくのだろうか?
驕は人を滅ぼす…驕りは人類を滅ぼす。
学習したい、先人たちの言い伝えたかったことを僕らの世代は噛み締めたい。
2008年08月05日
リスクを読み違えない
「リスクがあるから止めておこう。」
ベネフィットを取るためにはリスクを冒さないといけないというのは当たり前のこと。いまさら、この話しを敢えてしようとは思わない。
多くのベンチャー企業の失速の原因はリスクの読み違えによるものがあると思うのだ。
実はすべての企業は常に自分たちにとって最大のリスクを避け、世間からは「大きなリスク」と思えることで自分たちには「多少のリスク」と思えることに踏み込んでいくことで成功を収めているのかも知れない。
実のところ、リスクはそれぞれの企業の状況によって大きく変化するということ。
組織が大きくなり、昇進や評価が組織の中で大きな
判断材料になったり、短期間のB/SやP/Lのみが判断材料になる企業では
成功の確率が低く失敗をする可能性がある事業や動きとか、
混迷の中に突入すること、それから、マーケットの状況が未整備であることとか、
一か八かの勝負に出ることこれらがすべて大きなリスクだと考えられる。
でも、ベンチャー企業のリスクはちょっと違っているのではないか?
ベンチャー企業の弱みは資本金やキャッシュフローが脆弱であること、
主たる事業が大企業の事業と比べると事業と呼べない規模であること、
等である。また、より体力のある企業がやったほうが、
うまくいくような事業はむしろ大きなリスクなのではないか。
ベンチャーのリスクは多大な資金が必要な事業だったり、
むしろその場にとどまること=チャンスがありながらリスクを感じて新たな領域に進まないことだったりする。
失敗の確率が目に見えているという理由で、進まずそのままでいること自体が大きなリスク要因なのではないか?
むしろ、絶対にうまくいくことならば資金を潤沢に持っている企業が
資本の論理で押してきても成功するはずだ。
そんなところにベンチャーのチャンスは無い。
多くのベンチャー経営者は「リスクがあることに良く踏み込みましたね。」といわれることが多い。もちろん、決してリスクが存在しないことをしているとは思わないが、事業の開始段階では大きく資本を活用することのほうがリスクだと感じていたのではないか?
きわめて鋭敏なリスク感覚を持っていると、経営は企業がこのままではいけないと考え、変化を続けていき、チャンスをものにしていくのではないか。
ベネフィットを取るためにはリスクを冒さないといけないというのは当たり前のこと。いまさら、この話しを敢えてしようとは思わない。
多くのベンチャー企業の失速の原因はリスクの読み違えによるものがあると思うのだ。
実はすべての企業は常に自分たちにとって最大のリスクを避け、世間からは「大きなリスク」と思えることで自分たちには「多少のリスク」と思えることに踏み込んでいくことで成功を収めているのかも知れない。
実のところ、リスクはそれぞれの企業の状況によって大きく変化するということ。
組織が大きくなり、昇進や評価が組織の中で大きな
判断材料になったり、短期間のB/SやP/Lのみが判断材料になる企業では
成功の確率が低く失敗をする可能性がある事業や動きとか、
混迷の中に突入すること、それから、マーケットの状況が未整備であることとか、
一か八かの勝負に出ることこれらがすべて大きなリスクだと考えられる。
でも、ベンチャー企業のリスクはちょっと違っているのではないか?
ベンチャー企業の弱みは資本金やキャッシュフローが脆弱であること、
主たる事業が大企業の事業と比べると事業と呼べない規模であること、
等である。また、より体力のある企業がやったほうが、
うまくいくような事業はむしろ大きなリスクなのではないか。
ベンチャーのリスクは多大な資金が必要な事業だったり、
むしろその場にとどまること=チャンスがありながらリスクを感じて新たな領域に進まないことだったりする。
失敗の確率が目に見えているという理由で、進まずそのままでいること自体が大きなリスク要因なのではないか?
むしろ、絶対にうまくいくことならば資金を潤沢に持っている企業が
資本の論理で押してきても成功するはずだ。
そんなところにベンチャーのチャンスは無い。
多くのベンチャー経営者は「リスクがあることに良く踏み込みましたね。」といわれることが多い。もちろん、決してリスクが存在しないことをしているとは思わないが、事業の開始段階では大きく資本を活用することのほうがリスクだと感じていたのではないか?
きわめて鋭敏なリスク感覚を持っていると、経営は企業がこのままではいけないと考え、変化を続けていき、チャンスをものにしていくのではないか。
2008年08月04日
本当のニーズを探る
「人々の心が真に求めているものはどんなものなのか?」という考え方は、
「今、これが受けると思う」という感覚と確実に一線を画した概念だとおもう。
僕は小売や外食の企画をしているさまざまなタイプの企画者や
さまざまなタイプの企業経営者と話しをする機会が実に多い。
なかでもやはり気になるのは、業態なり、商品なり、サービスなり
の開発時にどんな発想から開発をしていたのかということだ。
いろいろな話からエッセンスを抽象してみると
世の中から支持される際の発想の原点になる
考え方は、ある一定の方程式があるようなのだ。
たとえば、「心が必要としている。」「こういったものが欲しいのではないか?」という感覚をもっとも大切にしている人の開発はかなり時代から受けている。
一方でロジックがあった上での開発は以外にうまくいっていない。
「これは受けそうだね。」とか「今までに無いから、ヒットする。」はたまた
「これはラインナップ上重要だから」等と考えているだけでは、
なぜか商品戦略がうまくいっていない。
消費者が心が求めているものは大切なのだが、
これを読むのが、消費者視点の発想である。
本当のところはアンケートなどには反映されない。
苦情や要望としても上がってこない。
コンビニなどに入ってきてグルッと見渡して出て行く人からアンケートを取ることはできないし、ペプシコーラを探していたのに無いので仕方なくコカコーラを買った人の声は聞けない。
値段のデータでもそうだ、売れたものはわかるけど、
買ってくれなかったり、二回目の購買は無かった人のデータは手に入らない。
飲食店でも一回来てアンケートも満足げだったけど、
二回目に「行くほどでもない。」と思っている消費者の
何を充足させれば来てくれるのか?を理解できるデータはどこにも無い。
声のでかいお客さんへの対応だけ重要視し、サイレントカスタマーの
声を耳にする機会は一切、持てない。
アンケートの回収で「頑張っているスタッフ。」の欄に書き込まれる名前が
名前を売り込んだ人になるように、アンケート用紙では本当のことは一切わからない。
これを克服するには結局のところ、想像してみる事しかない。
仮説と検証がどんなに大切なことだと改めて認識する。
しかもターゲットとする客層の中で多くの人が考えるような
一般的な心理状況を感じられなければならない。
仮説を立ててチャレンジしていく上で行ううえで目を曇らせているのが自分の固定概念。
自分の目は専門的なフィルターがかかり、見えなくなっている。
商品の知識や周辺の情報を知れば知るほど専門的な見方をしてしまい、
一般的な消費者が考えても無いような内容を「差別化要件」としてとらえ、
「おかしいな、他社製品とこんなに差別化できているのに。」とロジカルに考えてしまうのだ。
もしかして、消費者から見ると何の違いにも見えていないのかも知れないのだ。
本当のニーズを探るのは結局のところ視点の問題だけなのではないか。
「今、これが受けると思う」という感覚と確実に一線を画した概念だとおもう。
僕は小売や外食の企画をしているさまざまなタイプの企画者や
さまざまなタイプの企業経営者と話しをする機会が実に多い。
なかでもやはり気になるのは、業態なり、商品なり、サービスなり
の開発時にどんな発想から開発をしていたのかということだ。
いろいろな話からエッセンスを抽象してみると
世の中から支持される際の発想の原点になる
考え方は、ある一定の方程式があるようなのだ。
たとえば、「心が必要としている。」「こういったものが欲しいのではないか?」という感覚をもっとも大切にしている人の開発はかなり時代から受けている。
一方でロジックがあった上での開発は以外にうまくいっていない。
「これは受けそうだね。」とか「今までに無いから、ヒットする。」はたまた
「これはラインナップ上重要だから」等と考えているだけでは、
なぜか商品戦略がうまくいっていない。
消費者が心が求めているものは大切なのだが、
これを読むのが、消費者視点の発想である。
本当のところはアンケートなどには反映されない。
苦情や要望としても上がってこない。
コンビニなどに入ってきてグルッと見渡して出て行く人からアンケートを取ることはできないし、ペプシコーラを探していたのに無いので仕方なくコカコーラを買った人の声は聞けない。
値段のデータでもそうだ、売れたものはわかるけど、
買ってくれなかったり、二回目の購買は無かった人のデータは手に入らない。
飲食店でも一回来てアンケートも満足げだったけど、
二回目に「行くほどでもない。」と思っている消費者の
何を充足させれば来てくれるのか?を理解できるデータはどこにも無い。
声のでかいお客さんへの対応だけ重要視し、サイレントカスタマーの
声を耳にする機会は一切、持てない。
アンケートの回収で「頑張っているスタッフ。」の欄に書き込まれる名前が
名前を売り込んだ人になるように、アンケート用紙では本当のことは一切わからない。
これを克服するには結局のところ、想像してみる事しかない。
仮説と検証がどんなに大切なことだと改めて認識する。
しかもターゲットとする客層の中で多くの人が考えるような
一般的な心理状況を感じられなければならない。
仮説を立ててチャレンジしていく上で行ううえで目を曇らせているのが自分の固定概念。
自分の目は専門的なフィルターがかかり、見えなくなっている。
商品の知識や周辺の情報を知れば知るほど専門的な見方をしてしまい、
一般的な消費者が考えても無いような内容を「差別化要件」としてとらえ、
「おかしいな、他社製品とこんなに差別化できているのに。」とロジカルに考えてしまうのだ。
もしかして、消費者から見ると何の違いにも見えていないのかも知れないのだ。
本当のニーズを探るのは結局のところ視点の問題だけなのではないか。
2008年07月22日
あまり食べないでもいいようだ。
最近、個人的に興味の持てる面白いニュースが連続してあった。
一つ目は「適度な食事制限は遺伝子の傷を修復する」というもの。
そういえば、動物や昆虫は適度に食事の量を制限すると長生きする。
満腹になるまでえさを与えていた個体は結構早死にする。
これは遺伝子の傷を修復するたんぱく質の働きなんだそうだ。
遺伝子の傷は癌細胞の発生につながったり、老化につながったりするらしい。
満腹になるよりも30%くらい摂取カロリーを減らすという実験だったようだ。
ラットの実験のみならず、人細胞でもある程度実証できているらしい。
もう一つのニュースも同じように空腹礼賛もの。アメリカの研究チームがストレス緩和に空腹が良く効くと発表したとの事。
空腹時に分泌されるグレリンというホルモンがストレス緩和に効果があるというのだ。グレリンは幸福感を感じるホルモンらしい。そういえば空腹時のほうがテンションは高い人が多い。
甲田光雄、石原結實、井上敬などの医者が書いている本に描かれている内容と一致していて興味深い。甲田先生は生野菜ジュースだけ飲んでいればいいといっているし、石原先生などは一日一食でOKといっている。井上先生はやはり一日のカロリー数は幻想だという話しをされる。なるほどとも思うこともある。
たとえば僕も丸一日食べないでもそんなに体重には変化が無いのだ。
面白いものだ。
そういえば、僕ら現代人は意味無く食べるものが非常に多い。時間があれば時間つぶしで何かをつまんでいたり、手持ち無沙汰でつまんでいたり…。
こうして考えると、実は日本の食料自給率なんてこのパラダイムが変化したらあっという間に80%〜100%は行ってしまうのかもしれない。ほとんど消費しなくてもいい、たとえばカロリー数は半分で済むとかいう事実に気付けば…世界の食糧事情劇的に変化するのかもしれない。
一つ目は「適度な食事制限は遺伝子の傷を修復する」というもの。
そういえば、動物や昆虫は適度に食事の量を制限すると長生きする。
満腹になるまでえさを与えていた個体は結構早死にする。
これは遺伝子の傷を修復するたんぱく質の働きなんだそうだ。
遺伝子の傷は癌細胞の発生につながったり、老化につながったりするらしい。
満腹になるよりも30%くらい摂取カロリーを減らすという実験だったようだ。
ラットの実験のみならず、人細胞でもある程度実証できているらしい。
もう一つのニュースも同じように空腹礼賛もの。アメリカの研究チームがストレス緩和に空腹が良く効くと発表したとの事。
空腹時に分泌されるグレリンというホルモンがストレス緩和に効果があるというのだ。グレリンは幸福感を感じるホルモンらしい。そういえば空腹時のほうがテンションは高い人が多い。
甲田光雄、石原結實、井上敬などの医者が書いている本に描かれている内容と一致していて興味深い。甲田先生は生野菜ジュースだけ飲んでいればいいといっているし、石原先生などは一日一食でOKといっている。井上先生はやはり一日のカロリー数は幻想だという話しをされる。なるほどとも思うこともある。
たとえば僕も丸一日食べないでもそんなに体重には変化が無いのだ。
面白いものだ。
そういえば、僕ら現代人は意味無く食べるものが非常に多い。時間があれば時間つぶしで何かをつまんでいたり、手持ち無沙汰でつまんでいたり…。
こうして考えると、実は日本の食料自給率なんてこのパラダイムが変化したらあっという間に80%〜100%は行ってしまうのかもしれない。ほとんど消費しなくてもいい、たとえばカロリー数は半分で済むとかいう事実に気付けば…世界の食糧事情劇的に変化するのかもしれない。
2008年07月14日
「やらないリスク」より「やるリスク」
多くの人はまったく根拠になる理由も無いのに、
良く知らないことに対して抵抗感を示しがちです。
こういった思考回路は食わず嫌いの心理状態です。
まずいかどうか、硬いか軟らかいかわからない、
自分の知らない未知のグロテスクなものをよくわからないから、
「いいえ、私は結構です。」と拒否してしまう。
これは本来は大切な反射的な思考回路で
人間本来に備わった防衛本能のようなもの。
怖いという感情、知らないということに不安感を覚え、
そして、自身を傷つけたくないあまりに次の行動に踏み込まない。
でも、本当は多くの人の知らないこと、踏み込まないところに
実は最大のチャンスがあるのではないでしょうか。
自分の知っているもの、経験した事、良く理解で来ているもの
結局、そういった保守的な選択肢ばかり選んでいくことで、
自分自身の発展は全く臨めません。
人間、赤ん坊の時には何も知らないし、何もできません。
成長するということは「未知」を経験すること。
そしてその未知の経験からの学習によってさまざまな
能力を身に付けていくのです。
経営も同じことです。
たとえば弊社が最初に会社を始めたときはすべてチャレンジでした。
試行錯誤を集中的に繰り返すことによって、
周りからは「そんなことやめておきなさい、失敗するよ。」と
散々言われてきたことをビジネスに仕立て上げてきたのです。
自分たちでも、何の知識もバックグランドも無かったことにチャレンジし、
本当のプロフェッショナルに成ってきたのです。
チャレンジをやめた瞬間に企業も個人も保守的になり、
結果として衰退につながる選択をしてしまいます。
もちろん、今あるビジネスが安心感もあれば、土地勘もあります。
でも、「やるリスク」以外に「やらないリスク」も存在するのです。
多くの企業が新たなことにチャレンジすることで更なる飛躍を遂げてきています。
物事をいかに変化させ、いかに集中的に力を注ぎ仕上げるかが、大きく成否を分けます。合理的な判断の元、機会損失を見逃さない体質や考えが必要なのでしょう。
どうせなら、「やらないリスク」で縮こまって震えているより、
「やるリスク」を負ってチャレンジし続けたいものです。
良く知らないことに対して抵抗感を示しがちです。
こういった思考回路は食わず嫌いの心理状態です。
まずいかどうか、硬いか軟らかいかわからない、
自分の知らない未知のグロテスクなものをよくわからないから、
「いいえ、私は結構です。」と拒否してしまう。
これは本来は大切な反射的な思考回路で
人間本来に備わった防衛本能のようなもの。
怖いという感情、知らないということに不安感を覚え、
そして、自身を傷つけたくないあまりに次の行動に踏み込まない。
でも、本当は多くの人の知らないこと、踏み込まないところに
実は最大のチャンスがあるのではないでしょうか。
自分の知っているもの、経験した事、良く理解で来ているもの
結局、そういった保守的な選択肢ばかり選んでいくことで、
自分自身の発展は全く臨めません。
人間、赤ん坊の時には何も知らないし、何もできません。
成長するということは「未知」を経験すること。
そしてその未知の経験からの学習によってさまざまな
能力を身に付けていくのです。
経営も同じことです。
たとえば弊社が最初に会社を始めたときはすべてチャレンジでした。
試行錯誤を集中的に繰り返すことによって、
周りからは「そんなことやめておきなさい、失敗するよ。」と
散々言われてきたことをビジネスに仕立て上げてきたのです。
自分たちでも、何の知識もバックグランドも無かったことにチャレンジし、
本当のプロフェッショナルに成ってきたのです。
チャレンジをやめた瞬間に企業も個人も保守的になり、
結果として衰退につながる選択をしてしまいます。
もちろん、今あるビジネスが安心感もあれば、土地勘もあります。
でも、「やるリスク」以外に「やらないリスク」も存在するのです。
多くの企業が新たなことにチャレンジすることで更なる飛躍を遂げてきています。
物事をいかに変化させ、いかに集中的に力を注ぎ仕上げるかが、大きく成否を分けます。合理的な判断の元、機会損失を見逃さない体質や考えが必要なのでしょう。
どうせなら、「やらないリスク」で縮こまって震えているより、
「やるリスク」を負ってチャレンジし続けたいものです。
2008年07月09日
不思議な雑誌
あるビジネスの月刊誌の8月号に記事が出ていると証券会社の担当の方が教えてくれた。取材を受けた覚えも無く、その記事に目を通してみるとなんと、5年ほど前に他の雑誌社から取材を受けたときのコメントの要点をかいつまんで掲載してある。
実はその雑誌社から数ヶ月前に取材依頼を受けたときも、主旨が合わなかったので丁寧にお断りさせていただいた経緯があった。
周りの記事を見てみると、知り合いのエスコ事業の上場企業の社長のインタビュー記事と、やはり知り合いの外食のメガジーの社長のインタビュー記事が出ていたのだが、これがやはり古い記事内容だった。しかもお一人はM&Aで自分の会社をとあるグループに売却し、もう違う会社の社長になっているのに…!
写真もネットに掲載してあるものを使いまわしている!
これは雑誌として許されるのだろうか?
真贋の問題もあるし、雑誌の読者は僕が直接話をしたかのように感じるのではないか?あまりに古い内容を確認もしないで掲載しているというのもその雑誌の姿勢を問われるところだと思う。写真や文章の著作権の問題も影響しそうだが…。
実はその雑誌社から数ヶ月前に取材依頼を受けたときも、主旨が合わなかったので丁寧にお断りさせていただいた経緯があった。
周りの記事を見てみると、知り合いのエスコ事業の上場企業の社長のインタビュー記事と、やはり知り合いの外食のメガジーの社長のインタビュー記事が出ていたのだが、これがやはり古い記事内容だった。しかもお一人はM&Aで自分の会社をとあるグループに売却し、もう違う会社の社長になっているのに…!
写真もネットに掲載してあるものを使いまわしている!
これは雑誌として許されるのだろうか?
真贋の問題もあるし、雑誌の読者は僕が直接話をしたかのように感じるのではないか?あまりに古い内容を確認もしないで掲載しているというのもその雑誌の姿勢を問われるところだと思う。写真や文章の著作権の問題も影響しそうだが…。
2008年06月30日
事業とは社会の問題を解決することだと思う。
弊社の事業の真髄は社会の問題を解決することだと思います。
本来、企業は社会が抱えている問題のある部分や構造に向けて
解決できるような新たな概念を提唱していくものではないでしょうか。
僕が思っている本来の企業活動とは「問題を抱えくすぶっていた社会のフラストレーション」いわゆる「潜在的に存在したニーズ」を把握し、これをを掘り起こし、マーケットを創出していくことなのです。そのときに役目を担い、組織全体で「社会の問題解決」に動き、そして、「問題解決の結果、マーケットから支持された証として還元されるもの」=「企業の本来の利益」を得ていくという活動をし続けることだと思うのです。
そして、企業の取締役とはその役目を使命として捉え、常に問題意識の高い状態で、
社会全体を見渡し、社会変化に適合するように事業内容や方法論に調整を加えていく
役目があるのだと思います。生活そのものが、その使命と連動し、周りを大きく巻き込んでいく影響力を持ち、そしてそのリスクを理解して進んでいく存在であり続けることが重要です。休むときも臨戦態勢を作るための休息を意識し、絶えず事業に対して意識し、そして、全体の方向を見誤らないためにも厳しさに身を包み、この世界で自らの企業がより多くの問題を解決するチャンスを手に入れられるように社員の力を集中させる采配をふるうことではないでしょうか。
また、社員も、社会の問題の解決に参加している事を自覚し、
チャンスとして捕らえ、そのチャンスを最大限に
生かすように発揮し続けることが理想だと思います。
また、役目を分担されている事を認識し、また、感謝し、
その役目の遂行のための仕事力を向上させ続けるために、
「教えてもらうものだ」などという甘えの精神構造は排除し、
自ら成長のために努力し、自ら探求し勉強し続けることが大切ではないでしょうか。
「当たり前でしょ。」とか「当然だ。」と思うのでしたら、もしかすると、充分に意識できているのかも知れませんが、知っているということと本質的に理解し行動する事とは大きく異なります。
せっかくですから、ここで再度、社会から現在受け持ってしまっている大きな役目を再認識し、それに感謝すると共に、せっかくいただいたチャンスに最大限のチャレンジをし続けたいという思いを刷新し続けたいと思います。
取締役も社員もプロフェッショナルなのですから、
プロフェッショナルとしての役目を果たし続けなければ
社会からせっかく請け負っている役目が果たせているとはいえません。
世の中には多くの企業があります。
その多くの企業の中には社会的な役目を認識し続けて活動するのが
なかなか困難な企業もあるのです。
もちろん、「ただ、ニーズがある。」ことも大切なことかもしれませんが、
「他社で儲かっているみたいだから」とか「流行がこれだから」というのでは、
二番煎じ、三番煎じになりかねないケースも往々にしてあるのではないでしょうか。
ましてや取締役はもちろんのこと社員でも「会社から言われたからやっている」というような仕事の取り組み方では仕事をやっているとはとても言いがたいのではないでしょうか?
少なくとも僕にとって社会の役に立つことはモチベーションを支えてくれる原点です。
そして、僕たちはせっかく、社会全体からもらっている役目があるのです。
この役目をもらったことに感謝して全力を尽くして頑張りたいですね。
本来、企業は社会が抱えている問題のある部分や構造に向けて
解決できるような新たな概念を提唱していくものではないでしょうか。
僕が思っている本来の企業活動とは「問題を抱えくすぶっていた社会のフラストレーション」いわゆる「潜在的に存在したニーズ」を把握し、これをを掘り起こし、マーケットを創出していくことなのです。そのときに役目を担い、組織全体で「社会の問題解決」に動き、そして、「問題解決の結果、マーケットから支持された証として還元されるもの」=「企業の本来の利益」を得ていくという活動をし続けることだと思うのです。
そして、企業の取締役とはその役目を使命として捉え、常に問題意識の高い状態で、
社会全体を見渡し、社会変化に適合するように事業内容や方法論に調整を加えていく
役目があるのだと思います。生活そのものが、その使命と連動し、周りを大きく巻き込んでいく影響力を持ち、そしてそのリスクを理解して進んでいく存在であり続けることが重要です。休むときも臨戦態勢を作るための休息を意識し、絶えず事業に対して意識し、そして、全体の方向を見誤らないためにも厳しさに身を包み、この世界で自らの企業がより多くの問題を解決するチャンスを手に入れられるように社員の力を集中させる采配をふるうことではないでしょうか。
また、社員も、社会の問題の解決に参加している事を自覚し、
チャンスとして捕らえ、そのチャンスを最大限に
生かすように発揮し続けることが理想だと思います。
また、役目を分担されている事を認識し、また、感謝し、
その役目の遂行のための仕事力を向上させ続けるために、
「教えてもらうものだ」などという甘えの精神構造は排除し、
自ら成長のために努力し、自ら探求し勉強し続けることが大切ではないでしょうか。
「当たり前でしょ。」とか「当然だ。」と思うのでしたら、もしかすると、充分に意識できているのかも知れませんが、知っているということと本質的に理解し行動する事とは大きく異なります。
せっかくですから、ここで再度、社会から現在受け持ってしまっている大きな役目を再認識し、それに感謝すると共に、せっかくいただいたチャンスに最大限のチャレンジをし続けたいという思いを刷新し続けたいと思います。
取締役も社員もプロフェッショナルなのですから、
プロフェッショナルとしての役目を果たし続けなければ
社会からせっかく請け負っている役目が果たせているとはいえません。
世の中には多くの企業があります。
その多くの企業の中には社会的な役目を認識し続けて活動するのが
なかなか困難な企業もあるのです。
もちろん、「ただ、ニーズがある。」ことも大切なことかもしれませんが、
「他社で儲かっているみたいだから」とか「流行がこれだから」というのでは、
二番煎じ、三番煎じになりかねないケースも往々にしてあるのではないでしょうか。
ましてや取締役はもちろんのこと社員でも「会社から言われたからやっている」というような仕事の取り組み方では仕事をやっているとはとても言いがたいのではないでしょうか?
少なくとも僕にとって社会の役に立つことはモチベーションを支えてくれる原点です。
そして、僕たちはせっかく、社会全体からもらっている役目があるのです。
この役目をもらったことに感謝して全力を尽くして頑張りたいですね。


