2008年07月09日
不思議な雑誌
あるビジネスの月刊誌の8月号に記事が出ていると証券会社の担当の方が教えてくれた。取材を受けた覚えも無く、その記事に目を通してみるとなんと、5年ほど前に他の雑誌社から取材を受けたときのコメントの要点をかいつまんで掲載してある。
実はその雑誌社から数ヶ月前に取材依頼を受けたときも、主旨が合わなかったので丁寧にお断りさせていただいた経緯があった。
周りの記事を見てみると、知り合いのエスコ事業の上場企業の社長のインタビュー記事と、やはり知り合いの外食のメガジーの社長のインタビュー記事が出ていたのだが、これがやはり古い記事内容だった。しかもお一人はM&Aで自分の会社をとあるグループに売却し、もう違う会社の社長になっているのに…!
写真もネットに掲載してあるものを使いまわしている!
これは雑誌として許されるのだろうか?
真贋の問題もあるし、雑誌の読者は僕が直接話をしたかのように感じるのではないか?あまりに古い内容を確認もしないで掲載しているというのもその雑誌の姿勢を問われるところだと思う。写真や文章の著作権の問題も影響しそうだが…。
実はその雑誌社から数ヶ月前に取材依頼を受けたときも、主旨が合わなかったので丁寧にお断りさせていただいた経緯があった。
周りの記事を見てみると、知り合いのエスコ事業の上場企業の社長のインタビュー記事と、やはり知り合いの外食のメガジーの社長のインタビュー記事が出ていたのだが、これがやはり古い記事内容だった。しかもお一人はM&Aで自分の会社をとあるグループに売却し、もう違う会社の社長になっているのに…!
写真もネットに掲載してあるものを使いまわしている!
これは雑誌として許されるのだろうか?
真贋の問題もあるし、雑誌の読者は僕が直接話をしたかのように感じるのではないか?あまりに古い内容を確認もしないで掲載しているというのもその雑誌の姿勢を問われるところだと思う。写真や文章の著作権の問題も影響しそうだが…。
2008年06月30日
事業とは社会の問題を解決することだと思う。
弊社の事業の真髄は社会の問題を解決することだと思います。
本来、企業は社会が抱えている問題のある部分や構造に向けて
解決できるような新たな概念を提唱していくものではないでしょうか。
僕が思っている本来の企業活動とは「問題を抱えくすぶっていた社会のフラストレーション」いわゆる「潜在的に存在したニーズ」を把握し、これをを掘り起こし、マーケットを創出していくことなのです。そのときに役目を担い、組織全体で「社会の問題解決」に動き、そして、「問題解決の結果、マーケットから支持された証として還元されるもの」=「企業の本来の利益」を得ていくという活動をし続けることだと思うのです。
そして、企業の取締役とはその役目を使命として捉え、常に問題意識の高い状態で、
社会全体を見渡し、社会変化に適合するように事業内容や方法論に調整を加えていく
役目があるのだと思います。生活そのものが、その使命と連動し、周りを大きく巻き込んでいく影響力を持ち、そしてそのリスクを理解して進んでいく存在であり続けることが重要です。休むときも臨戦態勢を作るための休息を意識し、絶えず事業に対して意識し、そして、全体の方向を見誤らないためにも厳しさに身を包み、この世界で自らの企業がより多くの問題を解決するチャンスを手に入れられるように社員の力を集中させる采配をふるうことではないでしょうか。
また、社員も、社会の問題の解決に参加している事を自覚し、
チャンスとして捕らえ、そのチャンスを最大限に
生かすように発揮し続けることが理想だと思います。
また、役目を分担されている事を認識し、また、感謝し、
その役目の遂行のための仕事力を向上させ続けるために、
「教えてもらうものだ」などという甘えの精神構造は排除し、
自ら成長のために努力し、自ら探求し勉強し続けることが大切ではないでしょうか。
「当たり前でしょ。」とか「当然だ。」と思うのでしたら、もしかすると、充分に意識できているのかも知れませんが、知っているということと本質的に理解し行動する事とは大きく異なります。
せっかくですから、ここで再度、社会から現在受け持ってしまっている大きな役目を再認識し、それに感謝すると共に、せっかくいただいたチャンスに最大限のチャレンジをし続けたいという思いを刷新し続けたいと思います。
取締役も社員もプロフェッショナルなのですから、
プロフェッショナルとしての役目を果たし続けなければ
社会からせっかく請け負っている役目が果たせているとはいえません。
世の中には多くの企業があります。
その多くの企業の中には社会的な役目を認識し続けて活動するのが
なかなか困難な企業もあるのです。
もちろん、「ただ、ニーズがある。」ことも大切なことかもしれませんが、
「他社で儲かっているみたいだから」とか「流行がこれだから」というのでは、
二番煎じ、三番煎じになりかねないケースも往々にしてあるのではないでしょうか。
ましてや取締役はもちろんのこと社員でも「会社から言われたからやっている」というような仕事の取り組み方では仕事をやっているとはとても言いがたいのではないでしょうか?
少なくとも僕にとって社会の役に立つことはモチベーションを支えてくれる原点です。
そして、僕たちはせっかく、社会全体からもらっている役目があるのです。
この役目をもらったことに感謝して全力を尽くして頑張りたいですね。
本来、企業は社会が抱えている問題のある部分や構造に向けて
解決できるような新たな概念を提唱していくものではないでしょうか。
僕が思っている本来の企業活動とは「問題を抱えくすぶっていた社会のフラストレーション」いわゆる「潜在的に存在したニーズ」を把握し、これをを掘り起こし、マーケットを創出していくことなのです。そのときに役目を担い、組織全体で「社会の問題解決」に動き、そして、「問題解決の結果、マーケットから支持された証として還元されるもの」=「企業の本来の利益」を得ていくという活動をし続けることだと思うのです。
そして、企業の取締役とはその役目を使命として捉え、常に問題意識の高い状態で、
社会全体を見渡し、社会変化に適合するように事業内容や方法論に調整を加えていく
役目があるのだと思います。生活そのものが、その使命と連動し、周りを大きく巻き込んでいく影響力を持ち、そしてそのリスクを理解して進んでいく存在であり続けることが重要です。休むときも臨戦態勢を作るための休息を意識し、絶えず事業に対して意識し、そして、全体の方向を見誤らないためにも厳しさに身を包み、この世界で自らの企業がより多くの問題を解決するチャンスを手に入れられるように社員の力を集中させる采配をふるうことではないでしょうか。
また、社員も、社会の問題の解決に参加している事を自覚し、
チャンスとして捕らえ、そのチャンスを最大限に
生かすように発揮し続けることが理想だと思います。
また、役目を分担されている事を認識し、また、感謝し、
その役目の遂行のための仕事力を向上させ続けるために、
「教えてもらうものだ」などという甘えの精神構造は排除し、
自ら成長のために努力し、自ら探求し勉強し続けることが大切ではないでしょうか。
「当たり前でしょ。」とか「当然だ。」と思うのでしたら、もしかすると、充分に意識できているのかも知れませんが、知っているということと本質的に理解し行動する事とは大きく異なります。
せっかくですから、ここで再度、社会から現在受け持ってしまっている大きな役目を再認識し、それに感謝すると共に、せっかくいただいたチャンスに最大限のチャレンジをし続けたいという思いを刷新し続けたいと思います。
取締役も社員もプロフェッショナルなのですから、
プロフェッショナルとしての役目を果たし続けなければ
社会からせっかく請け負っている役目が果たせているとはいえません。
世の中には多くの企業があります。
その多くの企業の中には社会的な役目を認識し続けて活動するのが
なかなか困難な企業もあるのです。
もちろん、「ただ、ニーズがある。」ことも大切なことかもしれませんが、
「他社で儲かっているみたいだから」とか「流行がこれだから」というのでは、
二番煎じ、三番煎じになりかねないケースも往々にしてあるのではないでしょうか。
ましてや取締役はもちろんのこと社員でも「会社から言われたからやっている」というような仕事の取り組み方では仕事をやっているとはとても言いがたいのではないでしょうか?
少なくとも僕にとって社会の役に立つことはモチベーションを支えてくれる原点です。
そして、僕たちはせっかく、社会全体からもらっている役目があるのです。
この役目をもらったことに感謝して全力を尽くして頑張りたいですね。
2008年06月23日
「謝ればいい」わけではない。
物事にはトラブルが付き物です。そして謝罪の言葉もいかにも重要に見えるのですが、謝罪すればいいって訳ではないですよね。ちっちゃなことでも謝られて妙にやりきれない許しがたい気持ちになったり、「本気で謝っているのではないな。」と感じたことはありませんか?
トラブルが無いように万全を尽くすのは当たり前のことなのですが、
トラブルが発生してからの「解決していく姿勢」そのものが、
相手への姿勢や想いを端的にあらわします。
「もし、自分が相手と同じ立場でいたらどう考えるか?」
「もし、自分が相手の立場にいたらどう思うか?」
を想像しつづけてほしいと思うのです。
問題発生時には相手の状況は「不便」「不具合」などを感じているのです。
まずは「すみません」などと謝罪されるより、
「私のせいで」と反省されるより、
とにかくその不便の状況の理解とすばやい解決に向けての
初期対応こそが必要なのです。
むしろこの時点での「反省や謝罪」は問題自体の解決を遅らせ、
問題解決の本質をごまかし、問題解決に向けて取り組むべきな
当の本人の責任をぼやかし迷宮入りさせてしまいます。
「自分は反省しているから許してよ。」と言うのは「事前謝罪法」という心理テクニックとしては歴然と存在するのですが、我が身に降りかかってくる罪の軽減に注力してしまっている自己中心的な行為です。
実はこういう人は相手の立場に立っておらず、
自己中心的な世界観で物事を考えてしまっているのです。
「謝ることで自分が許してもらおう。」のほうが先行して、
謝罪の言葉が先に出てくるのです。いわゆる保身に走る行為です。
もちろん相手も周囲も「まずは謝ってしまおう。」という姿勢を見たとき、
潜在的に「こんな緊急事態に自己保身に走るとんでもないやつ。」と感じてしまうので結果としては得な行為でもないのです。
むしろ、タイミングの悪い謝罪は感情を逆撫でしてしまう結果につながってしまうのです。
本当に重要なのは問題の解決そのもの。
感情的に一番納得できるのは、その状況の改善という変化が目に見えること。
問題点の解消に着々と動いている状況報告であったり、
問題を起こした人自身が全力で行動を取らなければならないのです。
「あやまれ!」と謝罪を要求する相手には丁寧に「不便の解消を優先的にするので、まずは問題の解決をしてから。」ということを話して、やはり全力で問題の整理と解決を行うようにしなければなりません。
謝罪を先行させると問題が整理できないで相手側に問題がある場合や自分自身に責任が無いのに訳もわからず謝罪していることにもなりかねないのです。
そして、問題が収束して解決したら、さかのぼって自分の
非礼をわびるとか、相手に不便をかけたことを思いやるとか的確な謝罪がやっと登場する時間になるのです。
もちろんそれ以上に、根本的な問題に目を向け
問題の再発防止に尽力し、同じ問題を二度と起こさないことが大切なのは言うまでもありませんが…。
こういったように順序を間違えた謝罪や反省は「保身、責任回避、現実逃避」の象徴です。
そして、問題の解決を遅らせるだけでなく、問題点を摺り替えたり、
責任を回避している姿勢の表れなのです。
責任を取る人とは問題を解決する人のことです。
ですから、謝っているだけでは責任を取ることには程遠いのです。
トラブルが無いように万全を尽くすのは当たり前のことなのですが、
トラブルが発生してからの「解決していく姿勢」そのものが、
相手への姿勢や想いを端的にあらわします。
「もし、自分が相手と同じ立場でいたらどう考えるか?」
「もし、自分が相手の立場にいたらどう思うか?」
を想像しつづけてほしいと思うのです。
問題発生時には相手の状況は「不便」「不具合」などを感じているのです。
まずは「すみません」などと謝罪されるより、
「私のせいで」と反省されるより、
とにかくその不便の状況の理解とすばやい解決に向けての
初期対応こそが必要なのです。
むしろこの時点での「反省や謝罪」は問題自体の解決を遅らせ、
問題解決の本質をごまかし、問題解決に向けて取り組むべきな
当の本人の責任をぼやかし迷宮入りさせてしまいます。
「自分は反省しているから許してよ。」と言うのは「事前謝罪法」という心理テクニックとしては歴然と存在するのですが、我が身に降りかかってくる罪の軽減に注力してしまっている自己中心的な行為です。
実はこういう人は相手の立場に立っておらず、
自己中心的な世界観で物事を考えてしまっているのです。
「謝ることで自分が許してもらおう。」のほうが先行して、
謝罪の言葉が先に出てくるのです。いわゆる保身に走る行為です。
もちろん相手も周囲も「まずは謝ってしまおう。」という姿勢を見たとき、
潜在的に「こんな緊急事態に自己保身に走るとんでもないやつ。」と感じてしまうので結果としては得な行為でもないのです。
むしろ、タイミングの悪い謝罪は感情を逆撫でしてしまう結果につながってしまうのです。
本当に重要なのは問題の解決そのもの。
感情的に一番納得できるのは、その状況の改善という変化が目に見えること。
問題点の解消に着々と動いている状況報告であったり、
問題を起こした人自身が全力で行動を取らなければならないのです。
「あやまれ!」と謝罪を要求する相手には丁寧に「不便の解消を優先的にするので、まずは問題の解決をしてから。」ということを話して、やはり全力で問題の整理と解決を行うようにしなければなりません。
謝罪を先行させると問題が整理できないで相手側に問題がある場合や自分自身に責任が無いのに訳もわからず謝罪していることにもなりかねないのです。
そして、問題が収束して解決したら、さかのぼって自分の
非礼をわびるとか、相手に不便をかけたことを思いやるとか的確な謝罪がやっと登場する時間になるのです。
もちろんそれ以上に、根本的な問題に目を向け
問題の再発防止に尽力し、同じ問題を二度と起こさないことが大切なのは言うまでもありませんが…。
こういったように順序を間違えた謝罪や反省は「保身、責任回避、現実逃避」の象徴です。
そして、問題の解決を遅らせるだけでなく、問題点を摺り替えたり、
責任を回避している姿勢の表れなのです。
責任を取る人とは問題を解決する人のことです。
ですから、謝っているだけでは責任を取ることには程遠いのです。
2008年06月03日
スイーツの巨匠
先日、紹介されてスイーツの巨匠に会った。彼の開発したスイーツは単品で
なんと、年商80億円の商品に育ったそうだ。
誰もが食べて「おお!」と喜ぶその商品を作った
彼のすごさはどこにあるのか?コツは何なのか?
お話をお聞きして理解できたのは、
やはり「想い」の強さだった。
彼はバニラビーンズを生産地から理解するために、
マダガスカルまで行って、「この人の作っている、
こんな工程を経て、こんなに手をかけて作っているバニラビーンズ」
を丁寧に想いをこめて食べてくれる人の顔を思い浮かべて、
スタッフとその想いを共有して商品を作る。
消費者思考を超越した「想い」。そのときにはその商品の価値はもうモノだけではなくなっている。
個別の顧客の顔を思い受かべて
ヒット商品を作っていたのだった。
やはり、究極はこれだった。
80億円の年商と聞くと、単純に生産工程のマジックの
ように感じてしまうが、決してそうではなかった。
顧客の顔を思い浮かべて生産された商品にかなうものはない。
思いの強さに勝てるものはない。
彼は最近、独立してスイーツをネットだけで販売しているが、
8月一杯の生産分まで売り切れになってしまっている。
想いの強さを通じて、すばらしい商品ができる。
思いの強さに支えられて、一生懸命考える。
手をかける、本気になる。
仕事のツボをふと再認識した瞬間だった。
2008年02月22日
主体性
企業の管理職ならずとも全ての社会人が、
主体性を持つことはとても重要だと思います。
特に弊社ではクライアント企業の環境問題の解決を目指しており、
新たなビジネスジャンルを切り開く企業です。
今までに自分たちで経験したことだけでは
解決できない問題点が顧客それぞれにあり、
全てのポジションのスタッフが常に主体性をもって行動することが、
とても大切なことではないかと思っています。
スタッフ一人一人の主体性を最大限に発揮して
もらいたいと思っています。
ひと言で言うと主体性のあるスタッフとは
“顧客や上司に決めさせない人”のことです。
誰でも「どうしましょう。」と上司に聞いたことがあるかもしれません。
「もっと、自分で考えて!」と返されたりしたこともあるかもしれません。
これでは“上司に決めさせている”ことになっているのです。
もちろん、これは上司に対してだけではありません。
顧客に対しても同じことが言えるのです。
主体性のある人は「○○で行きたいと思います。」と報告し、
決めるきっかけになった理由を「△△という理由です」としっかりと
伝えることにより、上司や顧客にそれを認めさせる人なのです。
企業内では立場が上がれば上がるほど決済量が多くなったり、
責任の負担が大きくなります。
そして、比例して案件ごとの関与度が少なくなるものです。
顧客や上司は決定に必要な充分な情報量を担当者に頼っています。
つまり、一番顧客のことを理解しているのは当事者である担当者。
そこで、一発!担当者が「○○で行きたいと思います!」と
言ってくれるのを望んでいるのです。
それをいつまでも「どうしましょう。」などと
上司に決めてもらっているようでは、
とても主体性を持っているとは言えません。
明確にはっきりと「○○で行きたいと思います!」と決める行動を
取ってもらいたいのです。
ただし、その発言の裏には当たり前なのですが、
充分な材料をそろえ、さまざまな角度から良く考えて
根拠のある発言をしなければなりません。
不安定な根拠や単なる憶測だけでは、決定したところで、
「どうしてそう思ったの?」と上司から聞かれると
「なんとなく」としどろもどろにならざるを得ません。
材料がそろっておらず、「決定要因がそろっていないなぁ」と
思えるときも、仮説をいくつか立て、その仮説に対して
行動することで、進めば進むほど、
決定に必要なたくさんの要素がそろってきます。
「充分な要素がそろっていないから進めない。」という
言い訳はどこの世界でも通じません。
それは要素をそろえなければならない自分に対して
「役目を果たせません。」と降伏宣言を出し
進むことをも拒絶していることになってしまうのです。
もっと良くないのは上司に決定してもらいながら
「でも○○なので出来ません」などと反論し、
結論を導かないことを正当化することだったり、
自分で意見も言わないのに後になって
「本当は○○のほうが良かったのに、上司から指示されたの仕方なく」
などとこっそり言うような人です。
もちろん、基本を踏まえることやよく聞きよく習得すること
そして目指す目的と方針の理解は組織内では必須です。
ただし、決して顧客や上司に迎合しろと言っているのではありません。
顧客の視点で、はたまた自身が経営者になった視点で
自分の意見をしっかり持ち、結論に対して
しっかり責任ある発言をすることです。
最後に責任を持つのは上司であり社長なのですから、
変な責任意識やプレッシャーなどと言う言い訳は必要ありません。
提供しているフィールドを最大限に生かせるスタッフが育ち
主体性を持ち自分自身の本当の社会的価値を
上げていくことにつながればと思います。
主体性を持つことはとても重要だと思います。
特に弊社ではクライアント企業の環境問題の解決を目指しており、
新たなビジネスジャンルを切り開く企業です。
今までに自分たちで経験したことだけでは
解決できない問題点が顧客それぞれにあり、
全てのポジションのスタッフが常に主体性をもって行動することが、
とても大切なことではないかと思っています。
スタッフ一人一人の主体性を最大限に発揮して
もらいたいと思っています。
ひと言で言うと主体性のあるスタッフとは
“顧客や上司に決めさせない人”のことです。
誰でも「どうしましょう。」と上司に聞いたことがあるかもしれません。
「もっと、自分で考えて!」と返されたりしたこともあるかもしれません。
これでは“上司に決めさせている”ことになっているのです。
もちろん、これは上司に対してだけではありません。
顧客に対しても同じことが言えるのです。
主体性のある人は「○○で行きたいと思います。」と報告し、
決めるきっかけになった理由を「△△という理由です」としっかりと
伝えることにより、上司や顧客にそれを認めさせる人なのです。
企業内では立場が上がれば上がるほど決済量が多くなったり、
責任の負担が大きくなります。
そして、比例して案件ごとの関与度が少なくなるものです。
顧客や上司は決定に必要な充分な情報量を担当者に頼っています。
つまり、一番顧客のことを理解しているのは当事者である担当者。
そこで、一発!担当者が「○○で行きたいと思います!」と
言ってくれるのを望んでいるのです。
それをいつまでも「どうしましょう。」などと
上司に決めてもらっているようでは、
とても主体性を持っているとは言えません。
明確にはっきりと「○○で行きたいと思います!」と決める行動を
取ってもらいたいのです。
ただし、その発言の裏には当たり前なのですが、
充分な材料をそろえ、さまざまな角度から良く考えて
根拠のある発言をしなければなりません。
不安定な根拠や単なる憶測だけでは、決定したところで、
「どうしてそう思ったの?」と上司から聞かれると
「なんとなく」としどろもどろにならざるを得ません。
材料がそろっておらず、「決定要因がそろっていないなぁ」と
思えるときも、仮説をいくつか立て、その仮説に対して
行動することで、進めば進むほど、
決定に必要なたくさんの要素がそろってきます。
「充分な要素がそろっていないから進めない。」という
言い訳はどこの世界でも通じません。
それは要素をそろえなければならない自分に対して
「役目を果たせません。」と降伏宣言を出し
進むことをも拒絶していることになってしまうのです。
もっと良くないのは上司に決定してもらいながら
「でも○○なので出来ません」などと反論し、
結論を導かないことを正当化することだったり、
自分で意見も言わないのに後になって
「本当は○○のほうが良かったのに、上司から指示されたの仕方なく」
などとこっそり言うような人です。
もちろん、基本を踏まえることやよく聞きよく習得すること
そして目指す目的と方針の理解は組織内では必須です。
ただし、決して顧客や上司に迎合しろと言っているのではありません。
顧客の視点で、はたまた自身が経営者になった視点で
自分の意見をしっかり持ち、結論に対して
しっかり責任ある発言をすることです。
最後に責任を持つのは上司であり社長なのですから、
変な責任意識やプレッシャーなどと言う言い訳は必要ありません。
提供しているフィールドを最大限に生かせるスタッフが育ち
主体性を持ち自分自身の本当の社会的価値を
上げていくことにつながればと思います。
2008年02月19日
成長する人
人事コンサルティングのワトソンワイアットの
淡輪社長とお話をしたときに、共感出来るわかりやすい
お話をお聞きできた。
「スランプになったり、壁に当たったりしたとき、
自分的には成長を実感できないようなときに
悩みに悩んでそれでもめげずにやった人以外は成長しないもの。
うまくいかなかったときに、すぐに「自分には向いていない」
「本当にやりたかったことは違う」などという結論をもたらすタイプ、
つまり、回避行動をとる思考回路の人はそのままでは一生成長しない。
意外にもすんなりと成長を実感できているときは
成長自体はしていない。発揮と成長は違うもの。
悩み試行錯誤するプロセスこそ、自分自身の出来ないことに
チャレンジしていく状況こそトレーニングになり
成長のために不可欠な経験を積ませてくれているものなのだ。」
なにも成長していないなぁ。と悩みつつがんばって
自分のやるべきことをがんばりぬいていると、
意外にも「成長していないような」その期間をがんばって経験すれば
一気に臨界点を超えて成長曲線を描く。
だからスランプにあたっているときこそ成長の時期
悩みを安易に解決し、回避行動をとる人はその成長のチャンスを
みすみすと失っていることになる。
うまくいかなかったときにあきらめず、
さまざまな角度で自分の課題を克服し、乗り越え、
変化できる人間だけに成長は約束されている。
無くさなければならないものは以下の言動とその心境。
●言い訳。言い訳を言おうとする心境。
言い訳を「言い訳ではない」と正当化する心。
●自分の能力の限界に向き合ったときに現実を直視するのが
怖くて、かっこ悪くて逃げてしまうこと。
●誰かのせいにしておけば自分の保身につながり
自己イメージもかっこいいので他人や周り、状況のせいにすること。
●自分の責任を表面上は認めながら、
さも客観的にわかっているかのように苦手です、向いてません、
手に負えませんなどの回避の言動をすること。
これらは誰もがもしかすると少しは持っているかもしれない精神状態。
これを自ら注意して排除することこそ、
仕事の上でも人間性でも大きく成長できることにつながるのです。
淡輪社長とお話をしたときに、共感出来るわかりやすい
お話をお聞きできた。
「スランプになったり、壁に当たったりしたとき、
自分的には成長を実感できないようなときに
悩みに悩んでそれでもめげずにやった人以外は成長しないもの。
うまくいかなかったときに、すぐに「自分には向いていない」
「本当にやりたかったことは違う」などという結論をもたらすタイプ、
つまり、回避行動をとる思考回路の人はそのままでは一生成長しない。
意外にもすんなりと成長を実感できているときは
成長自体はしていない。発揮と成長は違うもの。
悩み試行錯誤するプロセスこそ、自分自身の出来ないことに
チャレンジしていく状況こそトレーニングになり
成長のために不可欠な経験を積ませてくれているものなのだ。」
なにも成長していないなぁ。と悩みつつがんばって
自分のやるべきことをがんばりぬいていると、
意外にも「成長していないような」その期間をがんばって経験すれば
一気に臨界点を超えて成長曲線を描く。
だからスランプにあたっているときこそ成長の時期
悩みを安易に解決し、回避行動をとる人はその成長のチャンスを
みすみすと失っていることになる。
うまくいかなかったときにあきらめず、
さまざまな角度で自分の課題を克服し、乗り越え、
変化できる人間だけに成長は約束されている。
無くさなければならないものは以下の言動とその心境。
●言い訳。言い訳を言おうとする心境。
言い訳を「言い訳ではない」と正当化する心。
●自分の能力の限界に向き合ったときに現実を直視するのが
怖くて、かっこ悪くて逃げてしまうこと。
●誰かのせいにしておけば自分の保身につながり
自己イメージもかっこいいので他人や周り、状況のせいにすること。
●自分の責任を表面上は認めながら、
さも客観的にわかっているかのように苦手です、向いてません、
手に負えませんなどの回避の言動をすること。
これらは誰もがもしかすると少しは持っているかもしれない精神状態。
これを自ら注意して排除することこそ、
仕事の上でも人間性でも大きく成長できることにつながるのです。
2008年02月18日
目標設定の精神構造
目標設定は必達が基本になる。
未達成はもちろんのこと、過達成も予算の精度の問題とされる。
ただし、これは企業の成長過程によって異なるのではないか?
成長段階の企業や個人に予算の精度ばかり要求するようでは、
何かが間違っているような気がしてならない。
予算を立てて、放っておけば自動的にうまくいくような
予算はどこにもないし、そんなオートマチックな仕組みは
成長段階の企業にはもちろん全ての企業にありえない。
では、保守的な目標や計画を掲げて、100%を達成するのがいいのか?
高い目標を掲げて未達成に終わったほうがいいのか?
究極の選択のような気がするが、良くある選択だ。
特に成長段階の企業や個人にとっては目標は
がんばって何とか達成できる高さで設定することが大切。
すぐにでも達成できるような目標では、
どうしたって成長なんかは望めない。
低い目標では全く意味がない。
お客様の状況や、時代の変化、競合相手の状況などを
先手を打って読み、高い目標を立て、それに向かって
全力で挑戦していかなければ、時代の流れに埋もれ、
後発の競合相手からもすぐに抜き去られることになるだろう。
どんなに困難な計画や目標でも、「やらなければならない」
という志をもって、皆が取り組めばどんなに目の前に大きな障壁が
訪れてもどんな壁に当たっても、
それを乗り越えて行く手段を考え、実行するプロセスを経験できる。
だから、保守的な目標や計画に甘んじていくよりも、
高い目標を掲げ全力を尽くした結果、未達成に終わったほうが、
人間力の向上、精神力の向上、企業の文化の成長には
大いに役に立つはずだ。
高い目標を掲げて、目標達成のために創意工夫、
自己の力の限界値を引き上げる。
次にくるさらに大きな困難に立ち向かう力をみに宿すために…。
これこそ成長段階の企業、個人にふさわしい考え方ではないだろうか。
未達成はもちろんのこと、過達成も予算の精度の問題とされる。
ただし、これは企業の成長過程によって異なるのではないか?
成長段階の企業や個人に予算の精度ばかり要求するようでは、
何かが間違っているような気がしてならない。
予算を立てて、放っておけば自動的にうまくいくような
予算はどこにもないし、そんなオートマチックな仕組みは
成長段階の企業にはもちろん全ての企業にありえない。
では、保守的な目標や計画を掲げて、100%を達成するのがいいのか?
高い目標を掲げて未達成に終わったほうがいいのか?
究極の選択のような気がするが、良くある選択だ。
特に成長段階の企業や個人にとっては目標は
がんばって何とか達成できる高さで設定することが大切。
すぐにでも達成できるような目標では、
どうしたって成長なんかは望めない。
低い目標では全く意味がない。
お客様の状況や、時代の変化、競合相手の状況などを
先手を打って読み、高い目標を立て、それに向かって
全力で挑戦していかなければ、時代の流れに埋もれ、
後発の競合相手からもすぐに抜き去られることになるだろう。
どんなに困難な計画や目標でも、「やらなければならない」
という志をもって、皆が取り組めばどんなに目の前に大きな障壁が
訪れてもどんな壁に当たっても、
それを乗り越えて行く手段を考え、実行するプロセスを経験できる。
だから、保守的な目標や計画に甘んじていくよりも、
高い目標を掲げ全力を尽くした結果、未達成に終わったほうが、
人間力の向上、精神力の向上、企業の文化の成長には
大いに役に立つはずだ。
高い目標を掲げて、目標達成のために創意工夫、
自己の力の限界値を引き上げる。
次にくるさらに大きな困難に立ち向かう力をみに宿すために…。
これこそ成長段階の企業、個人にふさわしい考え方ではないだろうか。
2008年02月13日
ゴールを意識
目的(ゴール)を意識できているかはとても重要。
ゴールから現状やらなければならないことにさかのぼって考えるやり方を
バックキャスティングという。
人間、部分を積み上げてゴールに近づくのだが、
ともすると部分的な実行のクオリティのみで成果を上げたと思ってしまいがちだ。
でも全体観やゴールを把握していないと全ての行動の方向観が自分発想のクオリティや自己中心的なご都合主義のフィルターを通して仕上がってしまうので、軸がぶれてしまうことが発生しやすくなってしまう。
集中したり熱中したりしているときにこそ、考え方が一方向にだけ突き進んでいないか、全体観が見えているか、ゴールの実現に対して進捗しているのかを考え直して見なければならない。
企業は常に今年の予算があってそれを月ごとの進捗で測っている。
今日の打ち合わせのゴール。
お客様と目指すゴール。
プロジェクトのゴール。
いつもゴールから逆算して物事を考える癖をつけて全体像を把握しながら、いまゴールまでの何合目にいるのかを意識しながらやると物事の判断はつきやすいし、だらだら感がなくなる。
ゴールから現状やらなければならないことにさかのぼって考えるやり方を
バックキャスティングという。
人間、部分を積み上げてゴールに近づくのだが、
ともすると部分的な実行のクオリティのみで成果を上げたと思ってしまいがちだ。
でも全体観やゴールを把握していないと全ての行動の方向観が自分発想のクオリティや自己中心的なご都合主義のフィルターを通して仕上がってしまうので、軸がぶれてしまうことが発生しやすくなってしまう。
集中したり熱中したりしているときにこそ、考え方が一方向にだけ突き進んでいないか、全体観が見えているか、ゴールの実現に対して進捗しているのかを考え直して見なければならない。
企業は常に今年の予算があってそれを月ごとの進捗で測っている。
今日の打ち合わせのゴール。
お客様と目指すゴール。
プロジェクトのゴール。
いつもゴールから逆算して物事を考える癖をつけて全体像を把握しながら、いまゴールまでの何合目にいるのかを意識しながらやると物事の判断はつきやすいし、だらだら感がなくなる。
2008年02月01日
割り箸は熱帯雨林の破壊ではないが明らかな「環境問題」だ。
割り箸は熱帯雨林の破壊にはつながっていない。
ボクがこういうことを言うと意外に思う人がいるかもしれない。
なぜなら、ボクは「マイ箸」を持って歩いているし、こだわって使い続けている。
使い終わったら口を拭いたお手拭などでふき取り、余分なナプキンを使用したりしないし、お店に布製のお絞りがないときはお茶やコップの水で軽くぬらし、自分の持ち歩いているハンカチでふき取る程度だ。自宅で水を使って洗うこともしない。
「汚いじゃあないか。」と思うかもしれないが、実は生物の特性を良く知っていれば特に問題は起きないことがわかる。大腸菌などの雑菌などは湿度=水分量が多くないと簡単に死滅するので感情的に衛生的でないという問題と、真実で衛生的でない問題は大きく違うのだ。
でも、割り箸が熱帯雨林を破壊していないというのは本当だ。
では割り箸はどういう環境問題を起こしているのか?
実はデータから読み解くと、こういうことがわかってくる。
日本国内の割り箸の総使用量は年間260億膳程度。一人当たり200本から250本使用している計算だ。そのうち98%ほどを海外からの輸入割り箸が占めている。
また、その内訳は99.7%が中国製割り箸が占める。
では中国製の割り箸の原材料となる木材は10年ほど前ではほとんどが中国国内の自然林からの伐採。中国は国も省も森林保護熱はあまり高くなく、植林にはほとんど力を割いていなかったようだ。そのため近年はロシアからの木材輸入が多くなりつつあるようで中国国内の森林資源の枯渇が見て取れる。
こういう現状からも明らかに環境破壊の片棒を担いでしまっていることがわかる。
一方、日本では林業の衰退で森林資源が蓄積されすぎ、人工林を間伐して育成しなければならないにもかかわらず、需要がなく森林のメンテナンスが全くなされず、森林が死にはじめている。ここにも環境問題が明確に存在する。
さて、国内で使用される260億膳の使用率の側から見ると概算であるが、外食産業65%、中食15%(コンビニ弁当ふくむ)、スーパーなどの小売の店頭(家庭使用とは限らない)で販売されるものが20%という構成比になっているようだ。
さらに健康面でも留意が必要だ。割り箸にはさまざまな薬剤が使用されているようだ。平成15年1月21日の厚生省からの調査発表によると、漂白剤として使用された二酸化硫黄、防カビ剤として使用されたオルトフェニルフェノールが割り箸から溶出することが発表されている。この薬品はわずか数ミリで1日の摂取制限量を超えてしまうものなのだ。
割り箸を使った場合とそうでない場合、一概にここに書いた内容だけで環境影響を図ることは出来ないが、物事をなるべく明確に理解し、感情論や世の中のブームだけで動くと反論者に簡単に突き崩される脆弱な発想に支えられた動きになってしまうことが往々にしてある。きちんとしたロジックを理解し、はたして自分の行っていることは筋が通っているのか?無駄なことをやってしまっていないか?検証し毅然としたポリシーをもちその精神性の現れ方として象徴的に動くことが大切だと思う。
割り箸を使わずにマイ箸を使うことはこうした環境問題を理解した上で環境保全に対して少しでも力を尽くしたい、少しでも誰かに影響を与え環境問題を理解してもらうきっかけにしたい、大きなムーブメントにしたいという精神性の表れだ。これ一つ取ると小さい動きではあるけれども極めて大切なことなのだ。
ボクがこういうことを言うと意外に思う人がいるかもしれない。
なぜなら、ボクは「マイ箸」を持って歩いているし、こだわって使い続けている。
使い終わったら口を拭いたお手拭などでふき取り、余分なナプキンを使用したりしないし、お店に布製のお絞りがないときはお茶やコップの水で軽くぬらし、自分の持ち歩いているハンカチでふき取る程度だ。自宅で水を使って洗うこともしない。
「汚いじゃあないか。」と思うかもしれないが、実は生物の特性を良く知っていれば特に問題は起きないことがわかる。大腸菌などの雑菌などは湿度=水分量が多くないと簡単に死滅するので感情的に衛生的でないという問題と、真実で衛生的でない問題は大きく違うのだ。
でも、割り箸が熱帯雨林を破壊していないというのは本当だ。
では割り箸はどういう環境問題を起こしているのか?
実はデータから読み解くと、こういうことがわかってくる。
日本国内の割り箸の総使用量は年間260億膳程度。一人当たり200本から250本使用している計算だ。そのうち98%ほどを海外からの輸入割り箸が占めている。
また、その内訳は99.7%が中国製割り箸が占める。
では中国製の割り箸の原材料となる木材は10年ほど前ではほとんどが中国国内の自然林からの伐採。中国は国も省も森林保護熱はあまり高くなく、植林にはほとんど力を割いていなかったようだ。そのため近年はロシアからの木材輸入が多くなりつつあるようで中国国内の森林資源の枯渇が見て取れる。
こういう現状からも明らかに環境破壊の片棒を担いでしまっていることがわかる。
一方、日本では林業の衰退で森林資源が蓄積されすぎ、人工林を間伐して育成しなければならないにもかかわらず、需要がなく森林のメンテナンスが全くなされず、森林が死にはじめている。ここにも環境問題が明確に存在する。
さて、国内で使用される260億膳の使用率の側から見ると概算であるが、外食産業65%、中食15%(コンビニ弁当ふくむ)、スーパーなどの小売の店頭(家庭使用とは限らない)で販売されるものが20%という構成比になっているようだ。
さらに健康面でも留意が必要だ。割り箸にはさまざまな薬剤が使用されているようだ。平成15年1月21日の厚生省からの調査発表によると、漂白剤として使用された二酸化硫黄、防カビ剤として使用されたオルトフェニルフェノールが割り箸から溶出することが発表されている。この薬品はわずか数ミリで1日の摂取制限量を超えてしまうものなのだ。
割り箸を使った場合とそうでない場合、一概にここに書いた内容だけで環境影響を図ることは出来ないが、物事をなるべく明確に理解し、感情論や世の中のブームだけで動くと反論者に簡単に突き崩される脆弱な発想に支えられた動きになってしまうことが往々にしてある。きちんとしたロジックを理解し、はたして自分の行っていることは筋が通っているのか?無駄なことをやってしまっていないか?検証し毅然としたポリシーをもちその精神性の現れ方として象徴的に動くことが大切だと思う。
割り箸を使わずにマイ箸を使うことはこうした環境問題を理解した上で環境保全に対して少しでも力を尽くしたい、少しでも誰かに影響を与え環境問題を理解してもらうきっかけにしたい、大きなムーブメントにしたいという精神性の表れだ。これ一つ取ると小さい動きではあるけれども極めて大切なことなのだ。
2008年01月28日
農業と政治
農薬や除草剤を販売すると利益が上がる会社や団体がある。
誰しも自分の会社の売り上げが少なくなるとなれば嫌だろうし、抵抗するだろう。
自分自身の生活が脅かされるのだから。だから真実には向かい合わなくなる。
利潤を追求するほうを選択していくことになる。
本来は利潤追求は社会の支持=マーケットから支持されて初めて成り立つはずなのだが、化学肥料メーカーや除草剤のメーカーは慣行農業を死守しなければ大きなマーケットを失ってしまう。
JAとても同じこと、農業資材の売り上げで収益の柱が構築されている。
おのずと既存マーケットで売り上げの高い=利権を持っている団体からの恩恵を受ける人の数が多く、団体が資金力に富み、力が強いと圧力団体としての役目を持ち始める事になる。
旧勢力にパワーがあるとモノは進歩せず、情報量も極端に低い。
いや低いどころか、情報を明確にコントロールされてしまう。
食の安心安全が叫ばれる中、こんなに野菜の残留農薬や化学肥料、遺伝子組み換えなどが消費者の視点から忌み嫌われてもこの図式はなかなか変化しない。
遺伝子組み換え作物の最大の輸入国は日本だ。
農家は日本全国で285万戸ある。農業を主業としている農家は40万戸。
認定されている有機で認定を受けている農家はなんと2870戸農家数だけ。
総数から比べるとなんとわずか0.1%にすぎない。
農業を主業としている農家数から比べても0.7%という比率。
いかに効率を重視した形で食が支えられてしまっているかがわかる。
なかなか図式が見えにくいが世界的に見ても飢餓の原因はこれと共通している。
今まで自給自足していた農民の農地を大手の資本が買占め、
商業作物に農地転換し外貨を稼げるようになっていくことで、
貨幣価値そのものが変化する。社会生活のレベルがそのままではないので、
農民は自分たちの食べるものを作れない状況になっていく。
細々と作ったものを食べあまったものを打っていく状況だと子供たちへの教育はおろか生活すらしにくくなってしまう。
自営の農家を廃業し、大型のプランテーションへ働き口を求める。
プランテーション自体は売り上げを上げ外貨を稼ぐが、
外貨があっても自分たちには回ってこない
貧民を生み、飢餓を生んでしまうという構図だ。
日本国内でも面白いことに図式は似ている。
農家の所得の平均が500万円程度。平均的な耕作面積は1.3haである。
収入500万円は多いようで少ない。なぜならこの所得額は彼らの売り上げだからだ。
そのうち原価として農業資材の購入などがあり、残るものはほとんどないだろう。
生産性の限界に挑むよりはもっと付加価値をつけていかなければならないのは自明。
有機の作物はこれだけ希少価値があるのがデータ的にはわかっているのに、
農家はなぜかあまり参入してこない。
補助金で農業を行っていれば消費者のほうではなくJAや行政のほうを見てしまうのも
当たり前の反応なのかもしれない。
消費者だって無関係ではない。
海外では遺伝子組み換えの農業が席巻し始めているし、
人件費は日本では想像も付かないほど低い。
小麦や大豆、トウモロコシこれだけさまざまな作物が世界的に値段を上げている。
世界の農業の危機=食の危機がそこまで来ている。
誰しも自分の会社の売り上げが少なくなるとなれば嫌だろうし、抵抗するだろう。
自分自身の生活が脅かされるのだから。だから真実には向かい合わなくなる。
利潤を追求するほうを選択していくことになる。
本来は利潤追求は社会の支持=マーケットから支持されて初めて成り立つはずなのだが、化学肥料メーカーや除草剤のメーカーは慣行農業を死守しなければ大きなマーケットを失ってしまう。
JAとても同じこと、農業資材の売り上げで収益の柱が構築されている。
おのずと既存マーケットで売り上げの高い=利権を持っている団体からの恩恵を受ける人の数が多く、団体が資金力に富み、力が強いと圧力団体としての役目を持ち始める事になる。
旧勢力にパワーがあるとモノは進歩せず、情報量も極端に低い。
いや低いどころか、情報を明確にコントロールされてしまう。
食の安心安全が叫ばれる中、こんなに野菜の残留農薬や化学肥料、遺伝子組み換えなどが消費者の視点から忌み嫌われてもこの図式はなかなか変化しない。
遺伝子組み換え作物の最大の輸入国は日本だ。
農家は日本全国で285万戸ある。農業を主業としている農家は40万戸。
認定されている有機で認定を受けている農家はなんと2870戸農家数だけ。
総数から比べるとなんとわずか0.1%にすぎない。
農業を主業としている農家数から比べても0.7%という比率。
いかに効率を重視した形で食が支えられてしまっているかがわかる。
なかなか図式が見えにくいが世界的に見ても飢餓の原因はこれと共通している。
今まで自給自足していた農民の農地を大手の資本が買占め、
商業作物に農地転換し外貨を稼げるようになっていくことで、
貨幣価値そのものが変化する。社会生活のレベルがそのままではないので、
農民は自分たちの食べるものを作れない状況になっていく。
細々と作ったものを食べあまったものを打っていく状況だと子供たちへの教育はおろか生活すらしにくくなってしまう。
自営の農家を廃業し、大型のプランテーションへ働き口を求める。
プランテーション自体は売り上げを上げ外貨を稼ぐが、
外貨があっても自分たちには回ってこない
貧民を生み、飢餓を生んでしまうという構図だ。
日本国内でも面白いことに図式は似ている。
農家の所得の平均が500万円程度。平均的な耕作面積は1.3haである。
収入500万円は多いようで少ない。なぜならこの所得額は彼らの売り上げだからだ。
そのうち原価として農業資材の購入などがあり、残るものはほとんどないだろう。
生産性の限界に挑むよりはもっと付加価値をつけていかなければならないのは自明。
有機の作物はこれだけ希少価値があるのがデータ的にはわかっているのに、
農家はなぜかあまり参入してこない。
補助金で農業を行っていれば消費者のほうではなくJAや行政のほうを見てしまうのも
当たり前の反応なのかもしれない。
消費者だって無関係ではない。
海外では遺伝子組み換えの農業が席巻し始めているし、
人件費は日本では想像も付かないほど低い。
小麦や大豆、トウモロコシこれだけさまざまな作物が世界的に値段を上げている。
世界の農業の危機=食の危機がそこまで来ている。


